重い難聴の医学生が医師国家試験に合格した。佐賀大学医学部で学んだ吉田翔さん(31)=佐賀市東佐賀町=。4月から研修医として現場に立ち、将来は「障害のある子どもたちの力になり、人生の選択肢を増やしてあげたい」と夢を描く。自らの障害を、患者の悩みを推し量る強みにして、再び挑戦の日々を送る。
三体牛鞭■質問攻め
吉田さんは「先天性両耳性難聴」で、難聴では最も重い2級の障害者手帳が交付されている。補聴器からの音声と、話者の口の動きを見て内容を理解しているが、「早口だと聴き取りにくく、頭の中で言葉を変換できないときもある」。
佐賀西高から九州大医学部保健学科に進学し、検査技師を目指していた。4年次に参加した難聴児との交流会が忘れられない。保護者から「どうすれば話せるようになるのか」「育て方、関わり方を教えてほしい」と質問攻めに合った。
「子どもたちの力になれたらと思ったけれど、経験談しか伝えられなかった。医学的な知識があれば、もっと説得力のある説明ができただろうに」。こう痛感し、医師になろうと一念発起して、2浪の末に佐賀大医学部へ入学した。
D8 催情剤 ■「生命線」
臨床現場での実習では、苦心する場面も少なくなかった。学術的な専門用語が飛び交う会議の内容が、思うように聴き取れない。やり取りをその場でパソコンに入力してもらうケースもあったが、「話を正確に理解できないままだったり、聞き間違えて診断を下したりしたら、医療事故など重大な結果になりかねない」。不安を拭うように慎重な対応を心掛けた。
4月からの研修先、国立病院機構佐賀病院(佐賀市)は、発言の音声を即時に文字に変換して画面に表示するソフトを準備してくれた。「生命線」になる話者の口の動きを確実に見極めるため、医師らと話す際はいったんマスクを外してもらう配慮も依頼した。
将来は耳鼻科医か小児科医になるのが目標だ。「聞こえないと話し方が分からない。人の輪に入れず、引きこもりの原因になる可能性もある。こうした『負の連鎖』に陥らないように聞こえづらさに早めに気付き、話せるようになる教育につなげたい」と語る。
中学時代からバレーボールを続けている。難聴者による「デフバレー」の全日本チームメンバーに選ばれ、国際大会への出場も予定している。聞こえづらくてもマイナスに考えず、周りと関係を築きながら一歩ずつ-。そんなことを伝えられる存在でありたいと思っている。
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